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同志社との交流

同志社との交流

風間浦村と学校法人同志社との交流のきっかけは、元治元年(1864年)にまでさかのぼります。同年4月18日、同志社創始者の新島襄氏が、品川から函館への航海中、北風と激しい潮流を避けるため下風呂に寄港。2日間滞在しました。その様子を航海中の日記「函館紀行」に、本土最後の寄港地として書かれており、下風呂温泉の高名なことも伝えられています。この後、新島襄氏は、当時鎖国をしていた日本から修学を胸の内にし、函館から渡米。フィリップス・アカデミー、アーモスト大学、アンドーヴァー神学校に学び、帰国後、京都に山本覚馬らと協力して、同志社大学の前身である同志社英学校を創立。明治23年(1890年)大学設立のため奔走中に倒れ、47歳の生涯を閉じました。

この史実を同志社校友会青森県支部の方々が取り上げ、この地にこの史実を後世まで伝えられる記念碑を建てられないだろうかという希望と、村民の様々な交流基盤になればと、平成4年、海峡いさりび公園に「新島襄寄港の地碑」が建立され、これを期に、風間浦中学校2年生による「同志社中学体験入学」や「同志社大学留学生との交流」など、様々な熱い交流が交わされています。

問い合わせ先

教育委員会事務局 教育課 

電話番号 0175-35-2210